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全ては錬金術から始まった
さて、自然科学のフィールドの中からまず初めに紹介していくのは、化学についてです。科学と区別するために良く「バケガク」と読まれるこの化学というのは、いったい何が「化」ける学問であるのか?というのは多くの人にとって疑問であるポイントではないでしょうか?この謎を解くには、この化学のルーツを辿っていく必要があるでしょう。そもそも化学の始まりは非常に古い歴史を持っていて、それは人類の文明の発展が始まったのとほぼ同じ時期まで遡ることになります。人類の発展というのは、同時に金属の発展でありました。土器や石に始まり、金属へと進化していく技術は、即ち武器として利用される道具でもあり、日常生活の中でも利用される技術でした。当時においては大発見であった青銅は、化学の発展とともにより良い精錬法が見つかり、より硬い銅へと進化しましたし、さらにその銅についても、その代替となりより硬くより精錬の難しい鉄を鎧うようになるに至ります。これらの金属製錬の技術というのは全てこの化学に通じるものであったと言っても良いでしょう。(もちろん、この時代は現在のように原理を追求して行われたわけではなく、実地の経験から来るものであったのでしょうが)。これらの金属製錬の技術はその多くがエジプトの地において発展しました。後に化学の英語訳であるCHEMISTRYとなるのには、その語源が「KHAM」というエジプトの地という意味の言葉から着ていると言われています。そしてこれらの金属製錬について盛んになった後、古代ギリシアから盛んに研究されたのは「錬金術」でした。この錬金術とは即ち、青銅や銅、鉄などの卑金属と呼ばれる、それほど貴重ではない金属を錬成して、金や銀などの貴金属に作り変えることを目的とした学問でありました。今となってはそれらの金属は構成している原子が違うことが分かるため、絶対に不可能であると分かるのですが、当時の人々にとっては同じ金属であるのだから、なんとか研究を続ければ練成する方法があるのではないか、と考えられていたのです。実際、当然ながら本当の意味での「錬金術」が成功することはありませんでした。しかしながら、この錬金術の研究の過程で、化学は急速に発展したのは間違いありません。錬金術士としてもっとも有名な人物であるアラビアのジャビールは、アリストテレスの「四元素説」を踏襲して「三原質説」を提唱し、化学の世界の礎を作ったといいます。更に、この錬金術は広まりを見せ、ヨーロッパからアラビアへと伝わり、アラビア世界において多く研究されました。そしてその研究が進んだ後にヨーロッパへと逆輸入が行われることもあったといいます。しかしながら、この錬金術というものの隆盛の時代もそれほど長くは続きません。キリスト教の支配力が増大するにつれて、物質を別の物質に作り変えようとする錬金術は異端の学問とされ、弾圧の対象となり、次第に廃れていくことになりました。そんなとき、現在の化学に連なるルーツとしてもう一つ存在していたのが、薬学です。パラケルススという人物によって、錬金術は薬学に融合され、より「物質」それ自体に対する研究というのが盛んになっていきました。そして18世紀に入ろうという時期にいたって、ボイルという化学者が登場、『懐疑的化学者』の執筆によって、化学は実験と観察に基づいて行われるべきだと主張し、現在の化学に連なる学問を創りだしたのです。そしてボイルによる化学の進歩は、物理学にニュートンという大天才が登場したことによって、物理学に比べて一世紀ほどの後塵を拝することになります。そうして近代科学の入り口が創りだされたのは、ラボアジェの「質量保存の法則」と「燃焼理論」の発見によってでした。これらの理論は他の分野の化学に対しても大きなヒントを与え、化学命名法を体系化することに依って化学の発展を大きく促したと言われています。この化学という学問は、非常に私たちの生活を豊かにするのに利用されて来ました。例えば物を染め上げる染料や、化学肥料、化学療法、化学繊維などは、今や私たちの生きる現代文明において絶対に欠かす事の出来ない存在です。しかしながら、これらは同時に「自然」に対して悪い影響を与えるものでもあることは、近年良く叫ばれる様になってきました。
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